東北大学の教官に就任して
宇田 聡
本年4月1日より、東北大学金属材料研究所 結晶材料化学研究部門の教授として就任しました宇田です。大学院理学研究科化学専攻を兼任しています関係で、この度、東北化学同窓会に特別会員として入会させていただくことになりました。ここで、簡単ですが自己紹介とこれから行おうと考えている研究について触れさせていただきます。
生まれは、名古屋ですが、父の転勤のため生後一か月ほどで東京・代々木に越し、ここで7年間幼少期を過ごしました。これ以降は、度重なる父の転勤で、東京世田谷区、兵庫県尼ケ崎市、再び、世田谷区、神奈川県川崎市と私が就職するまで住居を転々としました。いわゆる子供の世界で、様々な試練を受けたわけです。学部は、東京大学理学部地質学科で久城育夫教授の元で岩石学を学び、引き続き大学院修士を同研究室で過ごしました。テーマは、地球マントル物質の変成作用でしたが、ここで、多成分系における温度・圧力と相組み合わせの変化の関係といった熱力学を主体とする研究を行いました。卒業後は、三菱鉱業セメント(現三菱マテリアル)(株)に入社し、この3月までの22年間の大半をコーポレート・ラボ、ディビジョン・ラボでセメント、セラミックス、バルク結晶や薄膜単結晶の研究に携わってきました。最近ではランガサイト(La3Ga5SiO14)単結晶の開発研究を行いました。第3世代通信システムFOMAの基地局用弾性表面波フィルタの基板材料として使用されており、皆さんの会話の1/3が、我々の育成したランガサイト単結晶を通過することになります。一方、本社で事業企画の仕事や、サイバースペース研究所の立ち上げといったIT事業関連の仕事をしたこともあります。在職中の1987-1992年の間、米国スタンフォード大学の物質科学工学科(Department of Materials Science and Engineering)の大学院に留学しました。指導教官のProf. W.A. Tillerの指導のもとに酸化物単結晶の二オブ酸リチウムに関する研究でPh.D.の学位を修得しました。この5年間は、まさに天国と地獄が共存しているような毎日でした。アメリカの大学のシステム、経営、教育に関する考え方、教授であること、学生の意識等についてある程度知ることができました。紙面の都合上、ここでは述べませんが個のプライドと人間の尊厳を第一とする社会といいましょうか、いわゆる大人の世界であると感じました。
さて、来年から施行される大学の法人化に伴い産官学の関係がより強調されるようになってきました。特に大学と企業の結びつきがこれまで以上に強くなり、これに対応した大学での教育内容・方法の見直し、改善が叫ばれています。しかしながら、一方、企業側の受け入れ体制はどうかというと、新入社員に対し、「学校での勉強は役に立たん、一から鍛え直してやる」といった意識が相変わらずあるようです。これは、新卒が持つまさに、”fresh”な情報、知恵の重要さを理解し、これらを利用して業績をあげてやろうという姿勢が足りないことを意味します。一方、新入社員の方も、自分たちがこれまで大学で学んできたことをどのように仕事に役立てようかという意識に欠ける面があります。個人の評価はこれまで何をやってきたかで決まります。自分の価値を強烈にアピールしていく必要があるのではないかと考えます。
さて、東北大学に就任した現在、これから何をやっていくかということですが、民間企業を辞めてせっかく大学に来たのですから、理学に基づいた研究をしたいと思います。企業で仕事をしていた時に、シンプルな原理を再度見直し理解することが、問題の解決につながることを幾度か経験しています。これからは、結晶成長の研究を行いますが、融液からのバルク結晶成長において界面制御は、良質の結晶を得るための基本となります。そこで、融液の物性、構造、熱力学的要素と結晶成長の界面制御の関係に注目した新しい結晶成長法の研究をしたいと思います。
片平から東北大学化学教室をみて
東北大学多元研・米田忠弘
このたび多元研の化学機能設計で研究を開始しました米田忠弘と申します。化学教室の協力講座で片平にて化学教室にお世話になります。どういう人間か、自分で紹介させていただこうと本稿を書いております。
大学は京都大学理学部化学教室で、博士課程までそこで過ごしました。表面化学と言う物理化学の分野を学びましたが現在も引き続きそのテーマで研究をしています。京大化学教室も宇治に化研があり相当の規模ですが、東北大学は全国でも最大規模の化学教室ということで教官の質・量ともに非常に充実しているのが最初に驚いたことです。同時に院生の教育、とくに修士の学生さんは週の多くの午前中は講義に参加しているという、放任主義の京大と比べるとびっくりするぐらい授業が充実しています。もっともこれは私が京大にいたころの話で、単にさぼっていただけかもしれませんが。しかし研究の期間が長くなるにつれ院生のころに学んだことの重要性が逆に重く感じられるようになってきました。広い視野と基礎からの理解はそのころにしか得られないものなのかなと思っています。京大の後、ミネソタ州立大学でポスドク研究員で2年間過ごしました。教育に関係することでは、そこでの修士の学生さんはさらに勉強熱心でした。経済的にはこちらよりある意味学生への援助が分厚くて、授業料のほか最低限の生活費は教授が出してくれます。そのかわりフルタイムで研究室で研究することが義務ですのでアルバイトや親からの援助は望めません。ですので格好はかなり汚いのですが講義のテスト内容や解答は廊下に張り出されて、それに群がってノートに写している光景は日本では高校でも見れないものです。日本でもTAなどのシステムは取り入れられてきましたが、ミネソタのTAはそれこそひっきりなしに学部生の質問攻めにあっていまして、重労働のようでした。自分の研究にかかわる内容はさすがにその後の研究室内活動で会得するものですが、ひろいベーシックな知識の取得にはこういった厳しい教育が院生にも必要だと実感しました。ですから東北大学の化学教室の厚いカリキュラムは今後お手本になっていくものだと思います。
ミネソタはカナダ国境にあり、さらにその向こうには山岳の障壁なしに北極につながっていますので極地の寒気が直接やってきます。零下40度などというのも珍しくなく、そういう気温で歩いているとジーンズが凍って足が棒になることを知りました。寒い地方はしかしながら街もきれいですし、学問的には精密な分野がとくに好まれて発展するような気がしています。仙台ももちろんそんなに北に位置するわけではないですが、街の雰囲気や大学の研究もなんとなく共通しているところも感じられます。
ミネソタの研究を終えてこんどは一転して夏季には灼熱になるテキサス州ダラスにある、テキサスインスツルメンツという半導体会社に勤務しました。じきにその日本研究所にうつるのですが、半導体とアメリカの会社で勤めたのは良い勉強になったと思います。専門にしている表面科学も大きなスポンサーは半導体プロセスであり、それは間違いもなく化学のラボラトリーそのものです。しかしながら最近はプロセスの微細加工の限界や、国外への工場移転等あまり明るくないニュースが続いています。本質的な問題は、見方をかえれば、シリコン素子の産業が大きくなりすぎたところに端を発しているような気がしてなりません。真空管を使った計算機が、シリコンやゲルマニウムなどの固体素子に置き換わったわけですが、今後シリコンよりも優れた技術がすぐに見つかったと仮定しても、真空管の当時に見られたような機敏な動きはもうないかもしれません。単純に恐竜がすばやく動けないように。他方、その微細加工技術は化学者が合成した分子を架橋できるほど小さいものが作れるまでに発展してきています。化学者の努力目標は、いままでその微細加工プロセスの成功を助けていたところから、今度はそれを縦横につかって人間の五感の感性をすべてカバーするような新しい技術へ向かっていくところにシフトしたといえるかもしれません。今後我々の研究室ではナノテクノロジーの要素技術となる単一分子の操作技術を開発していこうとしていますが、もっとも大事なこと、化学を研究する誇りを忘れないようにしたいと思います。