追悼 佐々木伸樹先生
佐々木伸樹先生を偲んで
「ユーブングの佐々木さん」として親しまれ、長年にわたり化学教室の学生実験を担当された佐々木伸樹先生が、2024年3月11日、享年74で逝去されました。(通常であれば「佐々木先生」と記すところですが、以下では「佐々木さん」とお呼びします。)
1979年に3年生として佐々木さんにお会いして以来、学生時代、有機化学第二講座の教員時代、さらには2007年に静岡大学に転出した後も、佐々木さんとは長いお付き合いが続きました。2018年の私の還暦祝いには、わざわざ仙台から駆けつけてくださり、友人代表として温かいお言葉を頂戴しました(写真)。コロナ禍前までは、時折食事を共にして近況を語り合う機会もありました。亡くなられたとの報を受けたのはコロナ禍も落ち着き、そろそろ連絡を取ろうと思っていた矢先のことで、しばらくは呆然として何も手につきませんでした。
佐々木さんは、1972年に反応有機化学講座(北原研究室)を卒業され、その後半年間の研究生期間を経て、同年10月より2015年3月の定年退職まで、実に42年半にわたり必修科目であるユーブングの指導にあたられました。その間、指導を受けた学生は三千名を超えています。このようなことは他に類を見ないことでしょう。
ユーブングでは、生意気盛りの二十歳そこそこの学生を相手に、大変なご苦労もあったことと思います。しかし、佐々木さんは決してそれを表に出すことなく、いつも穏やかで上機嫌に学生に接しておられました。実験には予期せぬ結果がつきものですが、佐々木さんはどんなときも親身に指導し、今なら時間外労働が問題視されかねないような遅い時間まで学生に付き合ってくださいました。
佐々木さんの温かい人柄もあり、学生実験準備室は学生や院生が集う場となり、学年を超えた交流の場、いわばサロンのような雰囲気を醸し出していました。折に触れて披露される佐々木さんの博覧強記ぶりには、誰もが驚かされたものです。化学の話題にとどまらず、地理や歴史、古典から現代に至る文芸、さらには新旧のマンガに至るまで、「おや、そんなこともご存じない?」と得意げに語られる豊かな知識には、いつも感嘆させられました。また、佐々木さんは悩みを抱える学生にとって、信頼できる相談相手でもありました。研究の進展や指導教員からのプレッシャー、人間関係、将来への不安など、学生生活には悩みがつきないものです。そんなとき、佐々木さんに話を聞いてもらい、気持ちを整理できた学生は少なくないでしょう。その優しくて包容力あふれる対応に、「まるでカウンセラーのようですね」と申し上げたこともありました。
佐々木さんとご縁があったことに感謝し、心より哀悼の意を表します。いままで本当にありがとうございました。 合掌。
佐々木伸樹先生を偲んで
佐々木伸樹さんとは教員として同じ研究室の所属となり,ご退職後も時々電話で学生実験関連の事項や物品の所在等について教えてもらっていました。コロナ禍の影響もあって近年は年賀状のやりとりだけになっていましたが,令和6年正月には自筆と思われる賀状をいただきました。ところがその僅か数か月後に,佐々木さんの訃報を伝える葉書がご親族の方から届きました。正月頃に体調を崩されたとのことでしたが,突然のことだったので驚きました。
ご在職時に佐々木さんの過ごされた化学教室学生実験準備室は震災後の改修工事により小さくなってしまいましたが,以前は教員や学生が数名入って座れる広さがありました。中央の机がレポートの提出場所にもなっていたため,学生実験の前後の時間帯には学生さんとにこやかに話をされていました。私が佐々木さんと初めて会ったのも学生実験準備室でしたが,初対面の時からその博識に驚かされました。佐々木さんといえばまさに生き字引,歩く百科事典という言葉がぴったりくる,雑学を含めた知識の豊富さは誰もが認めるところだと思います。駄洒落も多かったですが,それらの知識の元になるのは,多分準備室の机の上に積まれた数々の本で,いつも何がしかの理系の新刊書が置かれていました。私も気になる書籍の広告を見たときはまず準備室に行って,「あ,やっぱり買われてましたか」と試し読みをしてから生協購買部に買いに行っていました。準備室にはいつも何人かの人がいましたが,レポート提出以外で準備室を訪れる学生さんが多かったのも佐々木さんの温厚なお人柄ゆえだと思います。このアットホームな雰囲気のため,ある年の卒業研究発表会の予稿集では学生さんの作成した表紙イラストとして優しい笑顔の佐々木さんが登場したこともありました。
佐々木さんは学生実験のことは全て頭の中に入っていて,授業直前に器具や試薬が足りないことが判明しても「あ,忘れていた。」と言ってあっという間に対応されていました。実はこれは余人には真似のできないことだったということを,ご退職後に強く感じました。手の空いたときには学生さんが使う薄層クロマトグラフィー用のキャピラリーガラスを何百本も何千本も引かれていました。「学生自身に引かせればいいのに」と言うと,「学生が引くと太かったり細かったりなんだよね」と返答されましたが,その声と眼差しには愛情がこもっていました。そのキャピラリーを使って実験する学生さんの姿を思い描きながら作られていたのではないかと思います。佐々木さんの学生実験で育った多くの学生さんが今は研究者として幅広くご活躍されている現状を見るにつけ,佐々木さんは本当に学生実験を通して科学の発展を支援されたのだなとの思わずにはいられません。まだまだ語り尽くせませんが,佐々木さんのご冥福をお祈りして追悼の文章とさせていただきます。