海上に仙山有り
佐上 博
この3月時間の流れに留まることなく定年退職となりました。ふりかえれば, 遥か昔, 1969年4月に川内での大学生活が始まりました。大学院博士課程修了が1978年3月, その後, 片平丁の非水溶液化学研究所-反応化学研究所-多元物質科学研究所と研究に従事し, 2015年3月に大学の環境から離れました。
○研究回想
・教養部(川内)
かまぼこ型教室でのすしづめ, 偏微分量子化学の難解さ
礼拝堂教育原理のけだるさ, 前期試験中止による「得した!」一体感
・学部(片平)
階段教室で受講した分析化学から有機化学の座学授業での忍耐
片平の大学北門入って右建物二階での化学実験で学んだ協調性
4年生一学期まで一階研究室で提灯飾った引っ越し前の思い出
・学部(青葉山)
新化学教室,青葉山にそびえる8階建ての化学棟の存在感
東仙台の松風寮から自転車で通学し, 青葉山に上るのに感じた体力のなさ
5階奥の有機化学研究室の右部屋窓からの七つ森の眺望
インドネシア留学生さんとの “かーちゃん”でのひと時
大判半紙を使った卒論発表(アスパラガス酸の合成)での緊張
・修士(青葉山)
6階手前の生物化学研究室の広い実験台の清潔さ
子ウシ胸腺ヒストン(DNA結合タンパク質, 一年時)研究での電気泳動分離威力への感動
アワビ酸性ホスファターゼ(酵素タンパク質, 二年時)研究での酵素失活による落胆
・博士(片平)
天然物イソプレノイドの生合成研究への若気の思い入れ
青葉山化学教室に比べて多い実験器具量への驚き
建物の中は暗く天井が高くひんやりした雰囲気への満足
その後, 職員として35年程片平での研究所で, イソプレノイド生合成に関する研究を行いました。その間研究員として2年半アメリカHoustonのテキサス大学M.D.Anderson病院付属分子生物化学研究所で,ドリコール代謝に関する研究も行いました。
○教育回想
研究所の職員は学部の授業ではなく川内での授業の割当があり,生命科学C(二年生対象)生命科学B(一年生対象)を担当していました.前者は生物化学一般の授業, 後者は“ノーベル賞で辿る生命科学”という表題をつけて, それぞれ研究所内の数人の先生と分担をしていました。これら若い学生に一方的に喋ることに「何を教えるか」と自分ではかなり気を使いました。また研究室では, 多くの修士博士課程の学生達と実験研究をしてきていろいろなことがありましたが, 楽しかったことだけが記憶に残ります。
最近そらんじた吉田兼好法師の徒然草最終243段から
8つになりし年
父に問うていわく,「仏はいかなるものにか, そうろうらん」という。
父がいわく, 「仏にはヒトのなりたるなり」と。
また問う,「ヒトはなんとして, 仏になりそうろうやらん」と。
父また, 「仏の教えによりてなるなり」と答う。
又問う, 「教えそうろひける仏をば, 何が教えそうろひける」と。
また答う。「それもまた, さきの仏の教えによりてなりたまうなり」と。
また問う,「その教えそうろうける第一の仏は, いかなる仏にかそうろひける」と言うとき
父,「空よりや、降りけん,土よりや湧きけん」といいて笑う。
「問いつめられて, えこたえずなりはべりつ」と諸人に語りて興じき。
研究はやってもやってもまた先があらわれ達成感が得にくいものです。かたや教育は, 親が子供の成長を楽しみ・ノするのと同様, 学生院生さん達が羽ばたいている姿を楽しみにできます。
○長年研究対象としてきたイソプレノイド天然物を幾つか掲げて紹介します。
(1)スクワレン(天然物)は小学生時代の丸い砂糖菓子の肝油の主成分でC30化合物です。C15のファルネシル二リン酸(FPP)が二分子縮合で合成されコレステローの原料です。
(2)コエンザイムQ10(天然物)は最近宣伝されているC59化合物です。イソプレン単位10のC50のデカプレニル二リン酸がキノン環に結合した化合物です。
(3)スタチン(くすり)はHMGCoA還元酵素の作用を阻害します。メバロン酸合成量を減少させ下流のイソプレノイド生合成系の減少につながります。コレステロール低下薬です。
(4)ビスホスホネート(くすり)はFPP合成酵素の作用を阻害します。FPP合成量の減少そして細胞機能の抑制につながります。骨粗鬆症治療薬です。
(5)ポリプレノールとドリコールはその機能はまだ十分解明されていませんがほとんどの生物に存在しその炭素鎖長のfamilyも生物によって様々です。提示した図(図1)はシソの葉の不けんか脂質の二次元TLC(順相一次元目と逆相C18二次元目)です。右側の斜めのファミリーはドリコール, 左側の斜めのファミリーはポリプレノールです。それぞれのファミリーが鎖長(C5イソプレン単位)の違いで分離されます。→はC85ドリコールです。その左上はC85ポリプレノール。左下ポリプレノ ール延長はC400(イソプレン単位で80)。刺身のつまに添えられるシソの葉っぱを食べるとき是非思い出して欲しいです。
図1.シソの葉に存在するポリプレノールとドリコール(二次元TLC)
最終講演は「海上に仙山あり」という題で行いました。白居易の長恨歌の中にあります。戦争が終わって僕らは生まれた, と歌ったのはいつだったか, その後, 努力して求めれば得られるものだったのか。 65歳になり時間の束縛から解放され, これからも人生続きます。簡単な挑戦として記憶力の限界を試しています。長恨歌(840字)に次いで現在, 般若心教(266字)を暗唱中です。
佐上 博
東北大学理学部化学科1969年4月入学
東北大学多元物質科学研究所2015年3月退官
最終講演 2015年3月2日東北大学サクラホール(片平)にて
佐上 博先生のご退職に寄せて
舘山誠司
佐上先生、長年の研究生活お疲れ様でした。僭越ではありますが、多くの門下生の一人として佐上先生のお人柄や教え、印象深い出来事について記します。先生との最初の出会いは平成7年4 月、当時は小倉協三先生率いる小倉研の時代でした。最初に言われた一言が「僕、何歳に見える?」。初対面の新人にとって非常に困る質問をされたことを覚えています。先生は非常にフレンドリーであり、学生達に分け隔てなくお声をかけて下さいます。お決まりのセリフも少なくなく、毎朝お会いするたびに「どう元気?」という挨拶、昼(決まって13:00ごろ)に実験室にひょっこり現れて「めし〜」と昼食へのお誘い、そして昼食後ラボに戻る際片平キャンパスの至るところに生えているメタセコイアやイチョウ、その他の草木を指して「植物(生命)ってすごいよね」という呟き、などは先生の門下生の皆様は鮮明に覚えているのではないでしょうか?ちなみに、怒っている時は「どう元気?」のセリフを省いていきなりディスカッションや小言に入るので、少なくとも私は機嫌の良し悪しの判別には苦労しませんでした。
先生はイソプレノイドおよびドリコールの研究において多大な功績を残されたことは言うまでもありませんが、同時に学生指導・研究者育成においても大変熱心でした。学生の当時は面倒だった(?)先生との長時間のディスカッション(時々脱線するが)やたわいもない雑談を通して、サイエンスに対する真摯な姿勢や柔軟な発想力のレベルアップが知らず知らずのうちになされていったように感じます。先生ご自身も自然・生命現象に対して謙虚に学び、常に柔軟な発想を心がけ、既成概念に囚われず新しい道筋を切り開くことを厭わない、を率先垂範されていました。例えば、一目平凡な結果や失敗と思われる生データを持っていくと、凡人には何も見えないところを指して「心眼でみればここにバンド(シグナル)があるではないか!?」などと言われ、よく喧嘩腰の議論になったものでした。そして心眼でバンド・シグナルが見えると指摘された実験データは眉唾ものではなく、新規知見につながるものであったことを目の当たりにした門下生も少なくないと思います。このように、自由闊達で多様な発想(多様性)を大切にするラボで学生生活を過ごし、個性的(特異的?)な先生の指導を経た門下生の皆様はやはり個性的、分野や既存の枠を超えた独自の道を歩まれている方も少なくありません。
私もまた、凡人には見えないものを見出し既成概念に囚われず新しい道筋を切り開く姿勢;佐上イズム;にすっかり感化され、今や研究に限らず私の職務におけるcentral dogma となっています。大学教員として学生指導に携わった際、ふと気が付くと佐上イズムを教え伝えていました。これも、不出来な学生で博士論文審査の際に大変ご面倒をかけてしまったにも関わらず見捨てず叱咤激励下さり、古山種俊先生と先生の取り計らいで博士課程終了後の1 年間ラボスタッフとして働く機会を得て、貴重な経験を積むことができたからです。この場を借りて感謝申し上げます。
今後もドリコールおよびイソプレノイド研究会をはじめとした学会活動を精力的になされると伺っております。くれぐれもご自愛いただきお健やかにお過ごしくださいますよう、心からお祈り申し上げます。