平間先生御退職特集



平間教授の御定年に寄せて 大栗博毅

平間正博先生のご退職に寄せて 氷室 真史


平間教授の御定年に寄せて


大栗博毅


 学部2−3年次に有機化学概論を教えて頂いた平間先生の何かが違う存在感に導かれ、1992年4月に平間研配属となりました。当時40代半ばだった平間先生は“超天然物化学”を掲げられ、数十年先を見据えた挑戦を始められたところでした。

 修士1年になっても低空飛行を続けていた筆者は、研究の醍醐味をなかなか掴めずにもがいていました。ドスの利いた声にたじろぎつつも、自信に満ちた平間先生の笑顔から、有機化学には研究すべき課題がまだまだ沢山あって、尽きない魅力があることが少しずつ伝わってきました。

 当時から平間研には、何かやってやろうという熱気と活力が存在し、純朴で未熟な我々東北大生の可能性を大きく開花させる何かがありました。青葉山の化学棟4階では、昼夜を問わず多段階合成と溶媒蒸留/回収を進めながら、ちょっと息抜きと問題点を解決するための思案と試行錯誤を繰り返しました。大学院生としての素地を固めつつ皆で充実した時を重ねるうちに、個々の持ち味を生かしながら困難な課題に向かって、倦まず弛まず継続的に努力する習慣を叩き込んで頂きました。

 また当時は年に一度、住吉台の御自宅に夕方から研究室総出で御邪魔して夜通し大騒ぎしたあげく、奥様に翌日の昼ご飯まで御馳走になったことが思い出されます。年を追うごとに先輩方や同級生の執念と努力が実を結んで勢いに乗りながら、次代を担う有意のメンバーが続々と入ってきました。多様な個性が入り混じった“平間研魂”が醸成される渦中にどっぷりと身を置けた体験がかけがえのない財産です。平間先生ならではの寛大で辛抱強い叱咤激励により、未分化な研究者魂に灯をともしてくれたこと…心より感謝しております。

 1998年4月から助手として、更に5年間にわたり大変お世話になりました。駆け出しの小職が行き過ぎた発言をした研究室内ミーティング終了後、少しは冷静になりつつあった頃合に「あんまり厳しくしすぎてもなあ…」と近くでお声を掛けて頂きました。公正な尺度とバランス感覚を持ちながら、タイミングを逃さないコミュニケーションの重要性を肝に銘じつつ、その実践の難しさを幾度となく痛感しています。この頃の平間先生はCRESTプロジェクトを総括され、天然物全合成を出発点とした生命科学研究を強力に推進されておりました。学際的共同研究をまとめ上げるリーダーの実行力と度量の一端に感化されながら、極めて恵まれた環境でひよっこ研究者として修練の機会を頂きました。

2002年5月京都でのご病気から、リハビリへの姿勢と強靱な精神力…言葉に尽くせぬ困難をここでも乗り越えられながら、東北大学のdistinguished professorとして、平間研を更に発展させられました。そして2011年、あの時期に学都仙台へ紫綬褒章を届けられたことは、私共門下生にとっても感慨深い御受章でした。平間研で研究のイロハを学べた幸運!と20年以上にわたる御指導に不肖の弟子ながらあらためて感謝しております。これからも平間先生は独自の新境地を拓かれていくことと存じますが、お身体をご自愛下さいますようお祈り申し上げます。


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平間正博先生のご退職に寄せて


氷室 真史


 平間先生、ご退職おめでとうございます。多くの偉大な兄弟子たちを差し置いてプレッシャーではありますが、ありがたく書かせていただきます。

 先生に初めてお会いしたのは、学部の授業の時でした。今でも覚えているのですが、低い声と鋭い眼光、並々ならぬオーラは大学の先生とは思えない(?)ものでした。その姿を見て「平間先生は格好いいし、平間研ならなんかスゲー面白いことができそうだ。」と直感したのが希望のきっかけでした。(平間研は体力さえあれば大丈夫という噂も私を後押ししたと思います。)じゃんけんとくじ引きで配属を勝ち取って以来、途中2年間のブランクを含め、6年半もの間お世話になりました。私のような出来損ないに対してはやきもきすることが多かったと思いますが、指導して頂き本当にありがとうございました。この場をお借りして感謝申し上げます。

 私個人の思い出になってしまうのですが、私は大学院入試に失敗し、平間研に残ることができませんでした。新しい研究室で研究しながら、どうしても平間研に戻って天然物合成がしたいと悩んでいたとき平間先生に打ち明けたところ、「そんなもん。ドクターで戻ってくりゃいいじゃねぇか。」と大したことじゃないと言わんばかりに一蹴され、「楽しみに待ってるからな。」と言って頂きました。その時は嬉しくて小躍りした覚えがあります。もちろん私は天然物合成がやりたかった訳ですが、もう一度“平間研で”研究をしたいという思いが強くありました。平間研の雰囲気は非常に独特だった気がします。豪快なのに時として緻密な研究スタイルはまさに「平間イズム」であり、スタッフ及び学生全員が皆共有していました。研究室全体が平間先生を表しているような空間でした。学生が研究室で長時間実験や雑談、諸々の事をしていたのも、その雰囲気がたまらなく好きだったからだと思います。

 私は「平間イズム」を東北大の外でも触れたことがあります。震災後、理化学研究所の袖岡幹子先生の計らいで研究生として受け入れて頂いた時、平井剛先生(平成13年度卒)のグループで研究をさせていただきました。平井先生とは面識がなかったのですが、平間研出身だなと実感するような「平間イズム」を持っている方でした。そのおかげで外にいながらにして平間研にいるかのような感覚で研究をすることができました。こんな風に先生の人柄や考え方に感化され、研究をしている多くの先輩方が全国にいると思うと、先生の影響力を改めて実感しました。そんな平間先生や先輩方に憧れ続け、僕自身も目指したいと考えています。平間研に戻って、研究ができて良かったです。

 まとまりのない文章でしたが、平間研の思い出を振り返ってみました。平間研最後の博士課程の学生として至らぬ点が多かったと思いますが、これまでご指導ありがとうございました。ずっとそのままお元気でいてください。そして、卒業後も立ち寄れるような場所(できれば研究室等)を持っていて下さい。

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