追悼


青天目一行さん 追悼 臼杵 豊展


青天目一行さん 追悼


臼杵 豊展(平成12年3月 卒業)


 2006年4月9日に、ある一通の電子メールを化学教室の同級生から受け取りました。それは、大学院時代の研究室の同級生である青天目一行さんが、病気のため亡くなったという、何度読み返しても俄かに信じられないものでした。つい1年前、一緒に博士課程を修了して、それぞれの道を歩み始めた矢先のことでした。当時私は海外で生活していたため、いわき市で行われた葬儀への出席は叶いませんでしたが、平間研究室関係者をはじめとして、多くの方が駆け付けたと伺いました。

 青天目さんと最初に出会ったのは、青葉山の教室でした。お互いに珍しい苗字(青天目:なばため、臼杵:うすき)をもつ間柄だったとはいえ、その頃はとりわけ親しかった訳ではありませんでしたし、3年秋に所属する研究室も異なっていました。しかし大学院進学と同時に青天目さんは、山本研究室から平間研究室に移籍してこられ、それからの5年間、同学年として切磋琢磨しながら研究室生活の苦楽を共にしました。

 特に最初の3年間は、同じく同級生の古山英知君と私の3人で同じ部屋に配属され、「3人トリオ」と呼ばれるほどの仲になりました。研究室行事などの雑用係を務めるM1時代に、忘年会の下見という名目で秋保の温泉ホテルを3人で巡り、温泉の無料体験を心行くまで楽しんだ時のことはとても思い出深いです。

 青天目さんはいつも控えめでしたが、面倒見のよい面をもっていました。八木山に住んでいた彼は、雪の日や何かの折に八木山方面に向かう人の送迎を心よく引き受けてくれました。「なばタクシー」と呼ばれるくらい、たくさんの人が彼の車に世話になりました。また、決して自分の自慢はしない人ではありましたが、とても優秀かつ努力家でありました。大学院を修了した彼は、財務省の造幣局に勤めましたが、あの国家第一種の試験日の直前まで私たちと共に実験をしていて、いつ勉強していたのだろうと皆で驚いたものです。

 このように、控えめな中に芯の強さを持つ一方で、他には穏やかさや優しさを振り向けていた青天目さんの姿を思い出す時、当時は当たり前にしていた彼の姿から、今の私が学ぶべきこともあると改めて感じています。

合掌

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