再び夢を求めて
佐 藤 年 男
平成16年3月31日、39年在籍した東北大学を卒業し新たな旅に出発しました。小さな種をまき、芽生えるときを待って歩み始めましたが、2ヶ月目から障害が出始め、発育障害を味わいました。
スターとまもなくささやかな新製品の開発に出くわし、試作品(7月半ば、河北新聞で紹介記事掲載)を3回ほど繰り返した後、12月現在、発売に向け採算ラインを検討するまでになっています。
また、7月13日の新潟県・福島県豪雨災害に宮城県から被災者支援ボランティアを一般から募集し、2回合計63名のボランティアを派遣しました。派遣本部を運営する事務局を担当しました。はじめは印刷関係の仕事を収入源にしようとしていましてが、営業して歩く時間がなく、開店休業状態でしたが、目的の「防災関係」の仕事も平行して行こうと方向を変えました。
平成16年は、平成12年同様災害多発の年になりました。大災害が発生すると全国のボランティアが被災者支援に駆けつける傾向が強くなり、そのボランティアを世話する「災害ボランティアセンター」が設置されることが多くなりました。しかし、必ずしもスムーズに設置・運営されるわけではありません。そのための「マニュアル」や訓練もされていなく、そのスタッフも含め初体験者が突然に設置され運営を任されるので、当然なのです。
平成15年7月に発生した「宮城県北部連続地震」を体験し、その被災者支援を体験した私は、「災害ボランティア」の運営の仕方を学びました。それを元に、さまざまな「様式・書式・例文」を考えました。
11月半ばに「災害救援ボランティアセンター設置・運営ハンドブック」を発行しようと準備をしていた矢先、「新潟県中越大地震」が発生し、先の豪雨水害同様ボランティア派遣の中心事務局を運営せざるを得なくなりました。2回合計89名のボランティアを派遣しました。被災地でいち早く「ボランティアセンター」が設置されましたが、行政も含めた被災者支援のあり方にさまざまな課題を多くの人に与えることとなりました。これらを含め、「ハンドブック」の原稿を再度見直し、12月中旬に発行できるまでになりました。
この「ハンドブック」は、39年間「分析」の仕事に携わってきたこだわりをベースに詳細に分析し、また、長年活動してきた「ボランティア活動」の経験を加え、適切と思われる内容を執筆しました。その内容は、大災害時の被災者支援のあり方、運営方法に大きな影響を与えることになると自負し、全国の自治体の防災関係者・社会福祉協議会、ボランティア関係者に普及させていきたいと計画しています。
平成17年度から、行政もスリム化を進めるため直接管理していた施設の一部を民間(NPO法人)に依託運営をすることになりました。私が抱える団体で、そのひとつを受託しようと申請の準備を進めています。この原稿が公開されるころには、その結果が出るのかなと思っています。
「人生は、やり返すことができない」「身体の自由がきく間にやりたいことをやってみたい」と思い、周囲の迷惑も顧みず定年の2年前に退職しました。在職中は、自由奔放に振舞い、越権行為もたびたびし、教官や学生の皆さんにも多大な迷惑をかけましたが、充実した人生を満喫させていただきました。ただ、自分の能力を十分発揮することができなかったこと、人間関係などに欲求不満は残りました。大学は独立法人化され、ぬるま湯に浸ってきたこれまでの体質から、自己主張、自己アピール、人材の有効活用など、他の人に評価されることに耐えられる運営が求められています。特に、技術職員の能力を最大限活用する体制、運営を心がけていただければ、と思います。若い技術職員の努力に目を向け、評価し、「やる気」を確保してください。
私は、身体が動かなくなるまで「夢」を追い続け、「無理」といわれることに挑戦を続けていきたいと思っています。化学教室を卒業した多くの同窓生の方々も「人生は、後戻りできない」、今の今を精一杯努力し、くいのない人生を遅れるよう祈念いたしております。