受賞記念寄稿
受賞寄稿 「日本化学会賞と近況報告」
平間正博(昭和45年卒)
この度、思いがけず「シガトキシン類の全合成を中心とした生理活性天然物の化学的研究」で平成15年度日本化学会賞を受賞致しました。ご支援いただいた東北化学同窓会の皆様には心から御礼申し上げます。研究は私一人ではできません。今回の受賞は私個人に対する賞ではなく、ひとえにこれまで研究を共にしてくれた若い職員と学生さん達の努力の成果に対して与えられたものであり、それを代表して頂いたものです。また、学内外の研究者との共同研究によって研究が幅広く深く発展しました。協力して下さった先生方にも心から感謝しています。
思い返しますと、サントリー生物有機科学研究所で目武雄理事長、中西香爾所長の下、3年間独立した研究者としてスタートさせて頂き、東北大学に助手として赴任してから早くも21年が立ちました。東北大学では最高の恩師、伊東 椒先生の指導を受け、伊東先生の後を継いで有機分析化学研究室を担当してから今年で丁度15年になります。そして、研究室には本当に優秀な若い職員、学生に恵まれました。研究室の職員を時代順に振り返ってみますと、鈴木敏夫(現、新潟大教授)、田中俊之(現、筑波大教授)、山口雅彦(現、東北大教授)、大石徹(現、阪大助教授)、野田毅(現、神奈川工大助教授)、大栗博毅(現、北大助教授)、井上将行(助教授)、Martin J. Lear(助手、9月から国立シンガポール大学助教授)、小林正治(助手)と替り、研究室卒業後大学で活躍している卒業生も、藤原憲秀(北大助教授)、笠井均(東北大助教授)、佐藤大(埼玉大)、根平達夫(広島大)、佐藤格(関西学院大講師)、石渡明弘(理研)、庄司満(東京理科大)、平井剛(東北大)、吉村文彦(北大)等、また、企業でも皆活躍してくれており、研究室の卒業生在校生は、留学生、ポスドクを含めると125名をこえました。実に恵まれた環境で研究と教育に専念できていることを実感しています。教授になりたての最初の8年間は研究費の工面で四苦八苦しましたが、この7年間余は、科学技術振興機構(JST)の戦略的基礎研究推進事業(CREST)に引き続き戦略的創造研究継続推進事業(SORST)の全面的支援が受けられ、研究費や機器の心配なく存分に研究ができたことは非常に幸いでした。CRESTの山本明夫先生(研究統括)を始めとするアドバイザーの先生方と、SORSTでもいろいろな面でサポート頂いているJSTの田村亘弘技術参事にも深く感謝しています。
また、2年前には、思いもかけない脳出血で三途の川を渡る寸前で九死に一生を得ました。3ヶ月弱の入院や、その後の無理がきかない身体のため、化学教室の先生方には大変なご迷惑をおかけしておりますし、同窓会の皆様の健康管理の多少の参考になるかもしれませんので、病状や当時の小生の生活を振り返ってみたいと存じます。2002年の5月に質量分析学会で講演を頼まれ、「化学合成にもいかにMALDI-TOFMSが役に立つか」を紹介する予定でした。そのMALDI-TOFMSを開発した田中耕一氏(奇しくもその年の秋にはノーベル賞を受賞された訳です)の特別講演を聞いた後、5月15日の晩に京都四条河原町における中西香爾先生(やはり特別講演を依頼されて同学会に出席されていました)を囲む宴席で脳出血を発症しました。丁度、文部省と日本学術振興会の制度について興奮して話をしていた時でした。症状は、急に左脚と左手に力が入らなくなって座っていられらくなっただけで、頭痛とか痛みは全くありませんでした。10分以上我慢したでしょうか、到頭我慢できなくなって、左隣席にいた村田道雄阪大教授夫人(サントリー時代の同僚)に脳卒中かもしれないと言って左横に倒れました。幸い、京都の病院に詳しい直木秀夫博士(サントリー生物有機科学研究所)の指示で、京都駅近くの京都赤十字第一病院に救急車で運ばれ、集中治療室で名医の垣田先生の治療を迅速に受けることができました。垣田先生の診断では、出血量は多く、通常では死亡するか、重篤な後遺症が残る量だったそうですが、奇跡的に脳皮質より髄液側に流れたので助かったのだそうです。但し、左足の回復に一番時間がかかるだろうと言われたそうです(実際、2年後の現在の状況がその通りになっています)。当時の小生は、意識がはっきりしているのに記憶が所々残らない状況でしたので、垣田先生の診断は全て家内から聞いたものです。最初は、左半身完全マヒで寝返りさえも打てず、ベット上に上半身を起こすこともできませんでしたので、家内は、車イスの生活を覚悟していたそうです。しかし、リハビリが功を奏し、尖足のような硬直も免れ、疲れやすいけれども普通に歩けるようになりました。
発症前の1年間の手帳を見ますと、研究がうまく進展していたこともあり、出張、出張の連続で殆ど仙台(研究室)に居ないような状態で、しかも日曜日には気分転換のため大朝日岳や月山への早朝出発の日帰り登山やバックカントリースキーに夢中でした。54歳の中年の体力の限界を完全に超えていたと思います。2000年から急に血圧が高くなり、コレステロールは正常値でしたが、体重は90kgを超え、登山をしないと中性脂肪が400−500 mg/dlになるほど、良く食べ良く飲んでおりました(言い換えると暴飲暴食です)。3月頃から全身の何とも言われぬ疲労感倦怠感に見舞われ、しかも発症直前の5月連休前には激しい不整脈が度々あり、心臓の鼓動が不規則になると幾度も深呼吸をしなければならないほどでした。女優の真屋順子さんの場合も、脳出血発症前は舞台が超多忙で、全身の疲労感倦怠感に襲われながら無理をして舞台を続けていたそうです。
現在の小生は、体重71kgで、中性脂肪は60−70mg/dl、「酒のない国では生きていけない」と考えていた男が、全く酒を飲みたいと思わなくなりました。血液検査は優等生です。今は、発症前と対照的に、「無理せず、焦らず、ゆっくり」のマイペースで研究室で夕方7時まで研究を楽しみ、帰宅後は毎晩体調に合わせて30分から1時間のリハビリウォーキングを楽しんで、力を蓄えております。先日の化学会年会時の平間研同窓会にも沢山の卒業生や関係者が参加してくれましたが、山口雅彦教授に、「平間さんは本当に強運な人だ」と言われました。本当にその通りだと思います。今回の受賞も若い優秀な職員と学生のお陰ですし、研究のきっかけやサポートで沢山の先生方や友人にお世話になり、脳卒中も登山中や雪山の中でなく、京都のど真ん中で友人や先輩の目前で発症した幸運!
この2年間私が担うべき大学の仕事を代わりにやって下さった化学教室の先生方には御礼の申し上げようもありません。また、研究室を守ってくれた職員、井上将行、大栗博毅、小林正治や、実験に専念してくれた学生達、秘書の扇直美、佐藤晃子さんや、脳卒中からの回復を激励してくれた沢山の先生方、先輩と友人に深甚の謝意を表して近況報告とさせて頂きます。
H15年度日本結晶成長学会論文賞受賞にあたって
宇田 聡
「ランガサイト結晶成長メカニズムの研究と高品質単結晶育成への応用」とい内容で、H15年度日本結晶成長学会論文賞を受賞しました。また、同年に同様の内容で韓国結晶成長学会から学術賞をいただきました。受賞に当たり、まず、この紙面を借りて申し上げたいことは、この仕事は私が東北大学に転出する前に勤務していた三菱マテリアル(株)で、ともにランガサイト単結晶の育成開発に携わってきたかつての同僚たちとの共同作業であったということです。ここに彼らの努力と諸先輩方のご理解に感謝の意を表したいと思います。企業の研究は、つまるところ営利目的です。しかし、研究の軌跡を振り返った結果、学問的にも評価される内容を成果として残したという事実は我々にとって誇りであり、また、喜びでもあります。本稿では、企業における研究開発の一面を紹介したいと思います。
ランガサイトはLa, Ga, Siの酸化物からなる圧電体で、我々の開発したランガサイト単結晶は、弾性表面波(Surface Acoustic Wave: SAW)フィルタの基板材料として使用され、ランガサイトSAWフィルタは、第三世代の携帯電話通信システム、日本でいうとFOMAの基地局で実用化されています。基板材料として、すでに水晶や、タンタル酸リチウムといった単結晶が長い実績を持つ競合材料として存在していました。ランガサイトがこれらを置き換えるには、圧倒的に有利な特性をもち、更に低コストである必要があります。新製品が既存品を代替するには、性能が2倍で価格が2分の1であることが要求されるのです。FOMAの基地局のSAWフィルタには、特性の温度安定性、動画などの膨大な量の情報処理、他システムとの非干渉などが厳しく要求されます。ランガサイトフィルタはこれらの点において総合的に競合材料より有利であり、しかも水晶フィルタならば2個必要なところ1個ですむという優位点を持っていました。基地局メーカーと話し合いを進め、スペックを提出してもらい、ランガサイトフィルタの開発が始まりました。我々は、ランガサイトという素材だけでビジネスを展開するのではなく、SAWフィルタというデバイスで川下展開を図ろうとしました。開発をスタートするといくつもの乗り越えなければならない山が存在することが徐々に明らかになりました。
それは、大型ランガサイト単結晶の高品質育成を可能にするキーポイントとSAWフィルタ開発に関わる問題です。育成に関しては3つのポイントがありました。1.ランガサイトは、非コングルエント物質であるため、引き上げ法により融液から直接結晶を育成するには、融液エネルギーを調整し、過冷却度を適正化する必要があること、また、最適融液組成を求めること、2. 成長界面が不安定であるので不安定界面を適切に分解して成長を安定させること、3.デバイス機能の正常な発現には、水晶加工に比べ10倍の加工精度がいることです。次にデバイス開発についてですが、ランガサイトには、基板上に形成した電極に表面波が反射する際、虚数の反射係数により位相がずれる自然一方向性という特殊な音響的性格があり、SAWフィルタの設計を著しく困難にしているという事実があります。
これらの問題の解決へ向けて、我々の努力と頑張りが大切なのは無論ですが、実は、研究を進めて行く上で様々な人に会い、一緒に仕事をする機会を持ち得たことが問題解決へのキーとなったように思います。ここでは、結晶育成とデバイス開発に関してそれぞれ一人ずつ紹介したいと思います。我々は、結晶育成開発の初期段階においてロシアのFOMOS社から技術導入を行いました。Dr. O. Buzanovが技術者として来日しました。長身で常に優雅な姿勢を崩さない彼とは、会ってからすぐにお互い意気投合し、ランガサイト単結晶育成開発が急テンポで進みました。これは、結晶成長に関して共通するバックグランドがあり、英語による直接のコミュニケーションで十分に納得いくまで議論が行えたことによるものと思います。極寒の冬、実験室で立ち上げのために何日も徹夜が続き、体力、精神力とも弱りがちな時に、結晶育成のみならず、互いの家族のこと、政治・文化に関して何時間にもわたり話し合ったことは素晴らしい経験で信頼関係を築くには十分でした。Dr. Buzanovは結晶成長に携わる科学者としても、人間としても素晴らしい人でした。
先に述べたように、ランガサイトは自然一方向性という特殊な音響的性格を持つため、SAWフィルタ設計を著しく困難にしています。これは、デバイスメーカーに取って厄介な問題で、水晶やタンタル酸リチウムといった基板材料で築き上げてきた設計ツールにランガサイトの材料定数を代入するだけでは設計が出来ないからです。しかし、彼らにとって未知な材料であるランガサイトに対して時間・労力・金をかけてフィルタ開発ツールを開発しようとはなかなか思わないわけです。ところが、アメリカ・フロリダにあるSAWTEKという会社のDr. L. Solieは、ランガサイトに関して非常に強い関心を持ち、独自の設計法をほぼ確立していたのでした。たまたま、SAWTEK社のランガサイトに関する特許について話をすることで同社を訪れた時に、Dr. Solieにお会いし、FOMA基地局用のSAWフィルタの設計とOEM生産を同社が協力してくれることになりました。Dr. Solieは、デバイス専門家ですが、結晶学、結晶成長学にも造詣が深く、我々のランガサイト開発に関して興味と理解を示してくれました。それから年に数回同社を訪れることになり、ランガサイトウエハの品質の問題、フィルタの設計について議論を重ねて来ましたが、毎回、朝9時から夜9時までの議論が嘘のように短く感じられたものでした。同社とはランガサイトウエハ品質の問題、試作品と要求スペックとの乖離などで、一度は、プロジェクトが中止になるといった紆余曲折がありましたが、H13年度には、FOMA基地局のフィルタとして採用までこぎつけることが出来ました。
企業の研究開発の一面を紹介いたしました。世の中に製品が出るまでに様々な問題にぶつかり、これらを解決するには人との出会いがとても重要な役割を担う場合があるということを感じていただければ幸いです。
日本化学会学術賞を受賞して
河野 裕彦(昭和51年卒)
このたび、「電子・核波束量子動力学法による強レーザー場誘起分子ダイナミクスの理論的研究」に対して、日本化学会学術賞を頂きました。平成10年に本同窓会の幹事を担当した際、受賞者の寄稿文を集める仕事はしましたが、まさか、自分が寄稿することになるとは夢にも思いませんでした。まだまだ未熟な研究ですが、思いもかけずこのような賞を頂くことになりましたのも、多くの方々のおかげです。推薦して頂いた日本化学会東北支部の方々に心から感謝いたします。特に、ともに研究を推し進めて頂いた藤村勇一教授ら数理化学研究室の職員及び学生の皆様に、お礼申し上げます。
私は、有機物理化学講座で中島威先生のご指導を受け、学位取得後、アリゾナ州立大学博士研究員、山形大学工学部助手を勤めた後、1991年に東北大学教養部に移って参りました。折しも教養部“改革”から“廃止”の時期で、その荒波に飲まれ、右から入った雑事をこなして左に流して行く(これは、今も変わりませんが)状態で、当時は、とても研究らしきものさえできそうな感じがしませんでした。結局、1993年に、理学部化学教室に配置転換になりましたが、あわただしい状況はそのままでした。しかしながら、阿部武弘先生、大槻幸義助手らと一緒に基礎物理化学講座を立ち上げることができ、化学教室から4年生の北彰久君が配属されることになりました。そのころは、他の人が全く手をつけていない研究をしなければ研究者として生きていけないと強く感じるようになっていましたので、「首尾良く行けば儲けもの」という様なテーマを彼に与えてしまいました(今は、そのようなことは許されないかもしれません)。当時、陽子と電子の間の引力より強い力を及ぼすことができる光を発振するレーザーの開発が進んでいました。このことに注目し、強いレーザーの光を分子に照射した際に、分子がどのような応答をするかを理論的に明らかにしようという課題に挑戦することにしました。そのためには、まず、強い光の中で電子波動関数がフェムト秒(10の15乗分の1秒)より短い時間で変化する様子を追跡する計算法を開発する必要がありました。90年代半ばは、電子励起状態が関与する反応をフェムト秒レーザーパルスによって追跡するフェムト秒化学の確立期で、理論的には、核の位置がどのように動いていくかを量子力学的計算で明らかにしようとする研究が盛んでした。これに対して、電子運動を追跡するための量子力学的シミュレーション法を開発するということは、多くの困難が予想され、冒険的なテーマでした。
4年生から大学院の修士課程に進んだ北君は、いろいろな方法を考えては試して行きましたが、どれもうまくいきませんでした。1995年には、阿部先生が退官され、私たちは藤村教授の数理化学研究室でお世話になることになりました。修士2年になった北君は、失敗した方法の欠陥を徹底的に調べ、その後の研究の基礎になった電子波動関数の時間変化を計算する方法が何とか判ってきました。それは、修士論文の予備審査まで3週間もないと言うところでした。水素原子の電子雲がレーザー光と相互作用して動き出すシミュレーションがうまくできたときは、本人もほっとしたことでしょう。昼夜を問わず必死に計算法を編み出そうとした努力が報われて、私も安堵したことをいまでもよく覚えています。
その後は、河田功君が中心になって、少数粒子分子系に対する電子・核量子動力学法を確立し、強いレーザー光による多原子分子の特異な反応の理論的研究にまで繋がってきました。電子状態を劇的に変え得る強いレーザー光に対する分子の応答挙動の研究が、新たな化学の領域となるという認識は早くからもっていましたが、レーザー波形整形技術を使った先端的な実験の現状などを見ますと、強い光を使った科学・工学は予想以上の速さで展開しているように思います。今後も、生物や医療方面の応用なども視野に入れながら、現在の理論研究を発展させていければと思っています。
「物を潰すような強い光では、研究にならない」とよく言われ、アウトサイダー的な気分にもなりましたが、この研究を続けることができましたのも、強い光の中での分子の挙動のような特異な分野に興味を持って励まして頂いた方々のおかげです。今後とも東北化学同窓会の皆様のご支援、ご鞭撻を頂けますようお願い申し上げるとともに、同窓会の皆様のますますのご発展を心よりお祈り申し上げます。
光化学協会賞を受賞して
秋山 公男
昨年度(2004年11月)に、2004年度光化学協会賞を受賞いたしました。受賞の対象となりました研究課題は、「レーザー誘起電子スピン相関に基づく光反応初期過程の研究」です。光反応初期過程を解明するプローブとして電子スピンを積極的に取り入れ、多様な光反応系について研究を展開し、パルスを含む時間分解電子スピン共鳴(EPR)法が、光化学反応初期過程に関与する常磁性活性種についての構造、反応初期過程のダイナミクスおよび反応機構研究の有力な分光手法として位置づけられることを種々の有機光反応系について明らかにしてきた研究成果が対象となりました。受賞に当たり、研究室の手老省三教授はじめ共同研究者、関係者の皆様にはこの場をお借りしまして御礼申し上げます。また、研究所付属のガラス工場の皆様には、その卓越したガラス工作技術を駆使して、不安定種を扱うための真空技術、特殊ガラス工作により支えていただいたことも、一連の研究を進めるに当たって必須のものであり、ここに感謝いたします。
昭和52年に、向井利夫先生の有機第一研究室に配属させていただき、宮仕勉先生の下で「熱反応」の仕事を起点として「研究生活」を始めた身としては何やら不思議な感慨を覚えます。当時、向井先生は「光化学協会」を発展・充実させるべく努力されておられました。320号室の宮仕先生は「熱反応」に情熱を傾注されておられ、卒業研究で唯一関係した光反応は、光Wolf転移だけだったと思います。有機化学第一講座への在籍は、たった一年なのですが、その後の自分の研究を進めるに当たって、ここでの経験が貴重なものであったことが折に触れて認識させられました。
昭和53年に、当時の非水溶液化学研究所の池上雄作教授の研究室(磁気化学部門)に配属になり、初めて、電子スピン共鳴なるものに遭遇しました。この年に、研究室に自前のEPR装置が設置され、EPRスペクトルの微分形が作り出す信号の美しさに圧倒され、結局、20年以上も電子スピンとの関わりを持つことになりました。特に、EPR法はNMR法と異なって一部の物理化学者のマニア的な手法と思われがちですが、さしたる障害もなくこの分野での研究を進めることが可能であったのは、附置研究所の研究・教育が一体化した学生にとっては理想的な体制にあったと思います。また、短期間でも有機化学に触れことにより、この手法を有機光化学研究に応用する際の障害が緩和されたと感じています。
EPR法は、パルス・レーザーを励起光源として用いることで、過渡的な現象、短寿命常磁性種の光化学へと展開し、加えてマイクロ波のパルス化により、得られる情報の量と質が豊富になりました。最近は、電子の電荷を利用した物質科学から電子スピンを積極的に利用する物質科学が21世紀には重要になり、電子スピンをキーワードとする研究対象が飛躍的に広がりを持つ可能性が開拓されて来ていると思います。こうした中で、アピールし難い基礎科学的アプローチに重点を置いた研究を進めつつ、「電子スピン光化学」の研究領域を開拓していきたいと考えています。こうした中で、微力ながら、電子スピンを物理化学分野の研究者のペットとしての存在を解消するために寄与できれば、と受賞を機に思っています。同窓生の皆様が、電子スピンが関与していると疑わしく思われた時には、ご相談ください。
最後になりますが、今後とも同窓会の皆様のなお一層の御指導と御鞭撻を賜りますようどうぞ宜しくお願い申し上げます。
シクロデキストリン奨励賞を受賞して
早下 隆士(特別会員)
「シクロデキストリン複合体センサーの設計と水中でのイオン・分子認識機能」に関する研究で、シクロデキストリン学会より平成15年度シクロデキストリン奨励賞を昨年9月に頂くことがきました。本同窓会誌において受賞報告の機会を与えて頂きましたことを、大変光栄に思っております。
本研究は、私が7年前に東北大学の分析化学(寺前)研究室に移りまして取り組みました最初の超分子分析試薬に関する研究でした。クラウンエーテルを使った世界初のアルカリ金属イオン抽出比色試薬が、1977年に高木 誠先生(九州大学名誉教授)、中村 博先生(北海道大学教授)によって開発されておりましたが、有害な有機溶媒を必要とすることが、実用化への障害となっていました。その当時から水中でアルカリ金属イオンを認識できる試薬が強く望まれていたわけです。このために、合成戦略を駆使した高度な認識サイトの設計が進められ、1988年にはノーベル化学賞受賞者であるCramらのグループによって、スフェランド型クロモイオノフォアを使ったジオキサン水溶液中でのアルカリ金属イオン応答が報告されています。その後、私どももラリアートエーテル型クロモイオノフォアを使ったジオキサン水溶液中やミセル水溶液中でのアルカリ金属イオン応答を報告してきました。しかしながら、金属イオンの強い水和に阻まれ、いかに高度な分子設計を駆使しても、完全な水中で実用レベルの選択性と感度を併せ持つ試薬を開発することは至難の業となっていました。結局、人工のホストが示す1:1型の静的な相互作用には自ずと限界があり、この壁を越えるには生体のように複数の分子の動的な相互作用から創出される超分子機能の探索が不可欠と考えるようになったわけです。
東北大学では、博士後期課程に進学した山内晶世さん(現薬学研究科・助手)の新しいテーマとして、水中で比較的大きな疎水空間を提供できる?-シクロデキストリンと、その空間に挿入できるクラウンエーテル型プローブを使った超分子複合体の機能探索を開始しました。1ヶ月もたたない中で、彼女が発見した水中でのK+イオンに対する蛍光応答は、今でも強く印象に残っています。1999年に発表したJ. Am. Chem. Soc. の論文には大きな反響がありました。その後の研究で、K+/Na+選択性は、水中であるにもかかわらず2600倍以上に達することも明らかになりました。この性能は従来の分子認識化学の常識と予測を遙かに上回るものでした。幸い本学には、シクロデキストリン研究に詳しい小林長夫先生(本学科・教授)や鈴木 巌先生(薬学研究科・助教授)もおられ、貴重なご助言を頂くことができました。またシクロデキストリン複合体センサーを使った糖の認識では、米国ノートルダム大学のSmithグループ、中国清華大学の童愛軍助教授の研究協力が大きな発展につながりました。鉛の認識では、米国テキサス工科大のBartschグループ、韓国中央大学のLeeグループの研究協力を得ることができました。
改めて申し上げるまでもなく、本研究は私個人の力ではなく、上に紹介した先生方や、研究室で暖かくご支援、ご指導頂いた寺前紀夫教授をはじめ、内田達也助手(現東京薬大・助教授),西沢精一助手(現講師),また実験を担当してくれた学生達(山内晶世博士、Mihab M. Murad博士、谷口慎一郎くん、皆川正和くん、高橋 秀くん、高橋綾子さん(旧姓加藤)、村上亜希子さん、岱青さん)の努力の賜であります。紙面をお借りして、心よりお礼申し上げる次第です。ここに紹介しました学生達の多くは、すでに同窓生の一員として社会の第一線で活躍しています。本同窓会が、益々発展しますことを祈念いたしますとともに、私自身も会員の一人として東北大から新しい研究成果が発信できるよう頑張りたいと思っております。今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。
日本化学会技術進歩賞を受賞して
福村 考記(平成2年卒)
このたび、日本化学会から「新規フッ素化剤2,2’-ジフルオロ-1,3-ジメチルイミダゾリジン(DFI)の開発」という業績で、平成15年度技術進歩賞を林秀俊氏(三井化学(株)触媒科学研究所 主席研究員)との連名でいただきました。受賞を報告するにあたり、まず東北大学理学部化学科在籍中に大変お世話になりました櫻井英樹先生(東北大名誉教授)、坂本健吉先生(有機第二助教授)の両先生をはじめとする同窓会の諸先生、先輩方に深く感謝申し上げます。ちなみに日本化学会技術進歩賞は、工業化の可能性の高い独創的な化学技術を開発し、年齢が40歳未満の者が賞の対象とされており、受賞者は私たちのように企業に属するものがほとんどで、三井化学では今回の受賞で5年連続の受賞となっています。本年3月の春季年会において受賞講演と受賞式があり、私が代表して講演をさせていただきましたが、大学時代の諸先輩や同期生の方々が聞きに来てくださいまして、大変嬉しく思いました。この場を借りて御礼申し上げます。
さて受賞の対象となった新規フッ素化剤DFIの開発について簡単に説明させていただきます。分子の特定部位がフッ素化された有機フッ素化合物は、フッ素の特異な性質から医薬、農薬などの生理活性物質や、液晶などの機能性材料に広く利用されており、これに伴い有機フッ素化合物の合成法の研究も活発に行われています。その中でも特に求核的フッ素化剤による酸素含有官能基のフッ素への変換反応は、幅広い化合物への適応が可能なことから最も広範に利用されていますが、この目的に用いられる四フッ化硫黄やジエチルアミノサルファートリフルオリド(DAST)などの既存フッ素化剤は毒性や熱安定性の低さから、その工業的使用は限られており、また特殊設備や技術が必要となるため大幅なコストダウンも期待できないという問題を抱えていました。このような状況に鑑み、私たちは工業的に安全に使用可能で、安価かつ広範な反応性を持つ新規フッ素化剤の開発に挑戦し、自社原料である1,3−ジメチル−2−イミダゾリジノン(DMI)とホスゲンから容易に合成できる中間体を、安全かつ安価なフッ化カリウムを用いてフッ素化することによって新規求核的フッ素化剤DFIを発見するにいたりました。DFIは?製造が容易で安価、?熱安定性が高い、?水酸基やカルボニル基の脱酸素フッ素化やクロロ基などの脱離基のフッ素置換など幅広い反応性を有する、?原料DMIのリサイクルが可能、という優れた特徴をもち、実験室レベルから工業規模での使用にまで適用できるフッ素化剤です。DFIはすでに試薬として販売されておりますが、さら私たちはDFIを利用した有機フッ素化合物の生産技術開発に着手し、医薬品原料であるジフルオロシクロアルカン類の工業化に成功しました。本業績は当時の上司であった永田 輝幸氏(現三井化学(株)生産技術研究所 所長)の工業的に安全に使用できるフッ素化剤を創りたいとの思いに端を発し、多くの方々の研究成果の積み重ねの上で達成されたものであり、今まで全く経験のない分野の研究をスタートさせた永田氏の先見の明と度量の大きさには誠に感服するものがありました。
最後に私自身のことについて少し述べさせていただきます。私は平成4年3月に有機第二講座で修士をとり、4月から三井東圧化学(現三井化学)に入社しました。大学時代は櫻井先生や坂本先生のもとでオリゴシラン類の電子状態の研究に従事しておりました。気分屋で不器用な学生であった私を誠によく指導していただきまして、おかげで有機化学は面白いとの思いを胸に社会にでていくことができました。入社後九州にある工場の研究に配属され、主に工業生産のプロセス研究に従事いたしまして、学生時代とは全く異なる経験をさせていただきました。特に工業生産において必要な安全性データやプロセス全体を通してのマテリアルバランスの取り方、さらには製造原価の計算方法など非常に面白くかつ有益なことを学びました。DFIの研究もこの時代に取組んだものです。その後2002年4月より三井化学袖ヶ浦センター触媒化学研究所に異動となり、現在は製品開発研究に従事しています。
末筆ながら、東北大学理学部化学科の益々の発展を願うとともに、今後とも同窓会の皆様のなお一層のご指導とご鞭撻を宜しくお願い申し上げます。
日本化学会進歩賞を受賞して
岩本武明(平成5年卒)
このたび「新規なケイ素π電子化合物および関連分子系の創出」という業績で日本化学会から平成15年度進歩賞を頂きました。
受賞を報告するにあたり、学部学生の時に研究のきっかけを頂き、研究の楽しさと厳しさを教えていただきました櫻井英樹先生(東北大名誉教授)、そして、学部学生時代から教員になった現在まで実際の研究全体にわたり御指導頂きました吉良満夫先生に心より感謝申し上げます。
今回の主な業績は新規な構造をもつ安定なケイ素−ケイ素二重結合化合物(ジシレン)の合成です。炭素−炭素二重結合を構成要素とする有機π電子化合物に関しては多様な骨格構造をもつ多数の分子が知られております。一方、ケイ素−ケイ素二重結合化合物については私が研究を始めた時までに知られていたものすべてが非環状のものであり、置換基の種類も少なく、有機π電子化合物に比べるとその構造や物性に関する知見は極めて限られていました。私はシクロブテンのケイ素類縁体やスピロ共役型ジシレンなどの環状構造をもつジシレンや2つのジシレンが集積したトリシラアレンの合成に成功し、炭素類縁体のものにはない、ユニークな構造や反応性を見出すことができました。
私は平成4年に櫻井英樹先生が担当されていた有機化学第二研究室に配属になり、吉良満夫先生のグループで研究を始めました。以来櫻井先生がご退官された後、吉良先生が講座担当になられてから現在に至るまで、有機化学第二研究室の非常に恵まれた環境の中で研究をさせていただいております。本年4月からは理学研究科附属巨大分子解析センターに所属しています。その間、関口章先生(筑波大学教授)、坂本健吉先生(有機化学第二研究室助教授)、江幡啓介先生(NTT)、一戸雅聡先生(筑波大学講師)、橋本久子先生(無機化学研究室講師)をはじめ、有機化学第二研究室の諸先生、先輩方にご指導いただきました。また巨大分子解析研究センター(旧化学機器分析センター)の甲千寿子先生にはX線結晶構造解析を一から丁寧に教えていただきました。これらの諸先生方から、研究の楽しさと厳しさ、そして研究と教育に対する真摯で情熱的な姿勢を教わることができたからこそ、今の自分があると思います。ここに厚く感謝いたします。また未熟な私とともに昼夜を問わず研究に没頭してくれた学生の皆さんがいたからこそ、ここまで研究を進めることができました。ここに深く感謝したします。
これからも初心を忘れず教育と研究に専念する所存です。今後とも御指導御鞭撻を賜りますようお願い申し上げますとともに、本同窓会の皆様のさらなるご発展を祈念いたします。
電子スピンサイエンス学会奨励賞を受賞して
生駒忠昭(昭和61年卒)
電子スピンサイエンス学会から「ESR法による有機材料機能の分子論的研究」という業績で、平成15年度奨励賞をいただきました。受賞報告あたり、終始御指導をいただいた池上雄作先生(東北大名誉教授)、手老省三先生(東北大教授)に心より感謝申し上げます。
両先生の研究室では、赤外ラマン分光、電子スピン共鳴(ESR)および核磁気共鳴(NMR)を用いて有機ラジカル反応に関する研究が活発に行われていました。そのような雰囲気の中で、私はパルスESR装置を自由に使える環境が与えられました。この方法は、物質と相互作用している電磁波のエネルギー分解を行う通常の分光法と異なり、時間領域で観測される共鳴信号から相互作用情報を得る方法です。研究を開始した当時は時間領域コヒーレント分光の原理など何のことやら理解もできず、頭を使うよりとりあえず手足を動かす方が性に合っているので、装置を壊さないようにと恐る恐る実験を始めた覚えがあります。最初に執りかかった仕事は、伊藤 攻先生(東北大教授)から頂いた石炭ラジカルの構造解析でした。石炭は謎の多い貴重な多成分天然炭素資源ですが、パルスESR法を使うと数十kHzの高い周波数分解能のスペクトルが得られ、ラジカル分子の平均サイズを決定することできました。とスマートに聞こえますが、実際は取り扱いが厄介な黒色粉末試料とコヒーレント分光に頭を抱えながら、確かなスペクトルを出してそれを理解するまでにかなりの時間が掛かったので、悶々とした日々が続いたのを覚えています。しかし、内容は分子サイズまで踏み込めた初めての結果になったので、長年石炭を研究されている先生方から、「普通のESRじゃ何にも分かんなかったけど、ここまで分かるなんて大したものだ。」と言われたときはとても嬉しかったです。
その後は、以前から興味があった高分子の電子物性に関する仕事を開始しました。センター試験監督の仕事でご一緒させてもらったことがきっかけで、同じ研究所に所属しておられた岡田修司先生(現山形大学教授)から幾つかのπ共役高分子を分けてもらいました。分けてもらった試料の中に一つだけ不思議なESR信号を出す網目構造高分子がありました。スペクトルを見て「これは何かありそうだ。」と感じ、時間をかけて電子構造とダイナミクスを調べるための詳しい実験をやってみることにしました。石炭研究で覚えたパルスESRだけでなく多周波ESRや多重共鳴ESR実験を行った結果、非縮退系(対称性の低い系)で見出された新規なπ電子スピンソリトンであるとの結論に達しました。関連する論文を読みあさった後覚悟を決め、いざ自分の結果を論文にしようと鉢巻でもしそうな勢いで机に向かうのですが、頭の中で思考がスピンするばかりでなかなか書けません。子供のときにお寺で無理やり座禅を組まされたときのように冷や汗ばかりが出てきて、最後は腰痛を起こすほど全身凝り固まっていました。どうやら、小心者の私は文章にする前に自分のアイデアに対する率直な意見が欲しかったようです。そこで、論文で目にした先生が出られている研究会や学会を探し、その場で発表と質問を繰り返しました。今思うに、老舗に飛び込み大声で物色しまくる観光客みたいなことをしたのではないかと反省もしていますが、研究者にとってフランクに議論できる場の大切さを実感できたテーマでした。
束縛の多い固体の中にあっても動き続けるソリトンダイナミクスに魅せられた今は、分子性材料における輸送現象に関した研究を進めています。近年、磁性無機半導体を用いたスピントロニクスが注目されていますが、多様性に富む有機固体で電子スピンが関わった電気伝導制御ができないだろうかと実験を行っています。これまでの研究生活では多くの会員の方に公私にわたりお世話になりました。秋山公男先生(東北大助教授)・大塩寛紀先生(筑波大教授)・中西八郎先生(多元研所長)・石井 徹先輩(富士ゼロックス)・森田 昇先生(東北大教授)・伊東俊司先生(弘前大教授)に心より感謝申し上げます。今後も、化学教室で教わったセンスを活かした研究を続けて行きたいと願っている次第です。
日本分光学会論文賞を受賞して
岸本直樹
平成15年5月、東京大学本郷キャンパス山上会館にて日本分光学会論文賞を授与されました。研究題目は「時間相関2次元ペニングイオン化電子分光法による分子の立体反応ダイナミクスと電子構造の研究」というもので、私自身が大学院生の頃よりほぼ10年に渡って続けている研究内容を纏めた総説を日本分光学会発行「分光研究」に掲載していただいたことがご縁で受賞させていただくこととなりました。この「ほぼ10年」のうち、初めの1年余りのみ東京大学駒場キャンパスにて修士課程の学生として実験を行ったのですが、指導教官である大野公一教授の東北大学理学部化学科への転任に伴って転学したため、大半の成果を仙台の東北大学青葉山キャンパスで得たことになります。もともと、大阪に生まれ育ち、東北には全く縁がなかったせいか、当初は距離的にも文化的にも随分と遠い街へ来てしまったとも思ったものですが、東北大学理学部化学科理論化学研究室のスタッフや同輩・後輩と研究に打ち込み、さらに学位取得後の平成10年4月に助手に採用されてからはスタッフとしての仕事などに忙殺されるうちに、郷愁の念も殆ど消えてしまったことが思い出されます。この間、一貫したテーマで研究し、総説において自分が纏め役として発表させていただいたことと、何人もの学生の成長を身近で感じながら自分も勉強できたことは大変な幸運だったと思います。指導教官の大野公一教授をはじめ前スタッフの山門英雄・和歌山大学システム工学部助教授や共同研究者の皆様に心より感謝する次第です。
私の研究内容は、希ガスの励起原子と分子との衝突イオン化反応で放出される電子の運動エネルギーを観測する「ペニングイオン化電子分光法」と、励起原子ビームを変調して高効率に衝突速度選別する「時間相関法」を組み合わせて、反応過程のダイナミクスを調べるというものです。修士課程の時に大野教授から与えていただいたテーマが、ピロールやフラン、チオフェンなどの5員環複素環芳香族化合物の衝突速度選別ペニングイオン化電子スペクトルを測定するというものだったのですが、調べていくうちに、教科書に載っているようなこれらの化合物でも、電子相関効果のためにイオン化状態の帰属が未だ議論の対象になっていることが分かりました。分子軌道の拡がる方向には異方性があるために、π軌道の電子とσ軌道の電子では全く拡がり方が異なります。さらに、σ軌道でもヘテロ原子に局在化する場合とそうでない場合でも拡がり方は異なっています。励起原子と5員環複素環芳香族化合物の反応では、この分子軌道の拡がりの違いを反映して、各々の分子軌道から電子が引き抜かれる反応の確率の変化が異なった衝突速度依存を示すために、長く未決着だったイオン化状態の決定に有力な結果を得ることができ、初めて書いた論文で高い評価を得ることが出来ました。以降も、励起原子が分子に対して様々な方向から近づき、分子間力を受けて軌跡を変え、反応し離れて行く「反応の立体ダイナミクス」をペニングイオン化電子分光法を用いて研究し、様々な成果を得ることが出来ました。
雑誌「分光研究」への総説投稿は、自分のような若輩者が果たして専門学術雑誌の読者の関心と理解を得るようなものが書けるだろうか・・・と少し不安にも思いましたが、「少しでも良いものを発表せねば」という気持ちと「この研究の面白さをしっかりと伝えなければ」という心意気で書き上げました。総説を書いている途中、また、受賞講演の準備の際には理論化学研究室の卒業生達と共に苦労して実験データを得たことをよく思い出しました。今回の賞は、化学教室で与えていただいた研究環境の中、卒業生達を代表して戴いたものですので、この場を借りて皆様に御礼申し上げたく思います。