伊藤 翼先生御退官特集


退官のご挨拶とお礼  伊藤 翼


伊藤先生との思い出  井頭(神山) 麻子

伊藤翼教授の定年退官にあたって  佐々木 陽一





退官のご挨拶とお礼


伊藤 翼

 去る3月31日をもって東北大学を停年退官いたしました.化学教室には,学生時代に学部3年生から数えて7年間,昭和60年10月に教授として赴任して以来職員として18年半,併せて25年6ヶ月の長きにわたりお世話になりました.この間,化学教室や同窓会のみなさま方に大変お世話になりました.本誌をかりて厚くお礼申し上げます.

 私は学生時代から停年に至るまで,東北大学理学部,東大物性研,福島大学教育学部,オハイオ州立大学,北海道大学理学部,分子科学研究所,そして再び東北大学理学部とさまざまな大学・研究機関を渡り歩きました.この間,学生時代の指導教官であった田中信行先生はもとより,長倉三郎教授(東大物性研),斉藤喜彦教授(東大物性研),Daryle Busch 教授(Ohio State Univ.),藤本昌利教授(北海道大学)など,多くの優れた先生方に直接ご指導を戴きました.転々と職場を変えることは,住居や研究テーマの変更など困難な面もありましたが,さまざまな経験をすることができ,研究生活を豊かにしてくれたと思っております.運命に加え,上記の先生方に深く感謝している次第です.

 私の最初の論文は,クロム錯体の電気化学的挙動に関する学部卒論研究の結果で1964年のBull. Chem. Soc. Jpn. 誌に掲載されました.以来40年余りにわたって一貫して錯体化学の研究を行って参りました.研究上で忘れ難いことは沢山ありますが,平成10年から13年までの4年間,領域代表としてかかわった科研費特定領域研究(採択当時は重点研究と呼称されていた)「集積型金属錯体」は,私の研究生活の中で想い出深い出来事の一つです.当時主流であった単核錯体の研究を一歩先にすすめ,多核錯体,クラスター錯体,錯体集合体など系内(分子内)に複数の遷移金属を含む物質群(集積型金属錯体)を合成し,遷移金属イオンがもつ光吸収性,redox 性,磁性などの特性を遷移金属の集合系に持ち込むことにより新しい化学機能を開発することを目指したものです.このプロジェクトは当初数名の錯体化学の仲間と共に立案しましたが,この申請が採択されると,錯体化学はもとより物理化学,有機物理化学,固体物性など広い分野の多くの研究者がこのプロジェクトへの参加を希望され,最終的には総勢120名ほどの規模になりました.3回の国際シンポジウムを含み開催した研究会は20回に及びました.このプロジェクトのおかげで研究費を沢山戴き研究室内の研究設備を充実させることができましたが,そのことよりも,沢山の仲間と研究交流や共同研究が出来たこと,これらを通じて,研究室からでる論文の質や量が格段に高まったことが何よりも嬉しいことでした.特定領域研究の領域代表になる幸運にめぐまれたことも,周囲のさまざまな方々のサポートがあってのことで関係者に深く感謝している次第です.  

 つい最近,教授室の戸棚を整理していたところ,学部学生時代の同級生の会「ペンタトリアコンタ」の文集がいくつかでてきました.最も古いものは昭和37年の発行で,学部3年生のユーブングを行っているときのものでした.この文集には,驚くことに当時の化学科の教授7名の先生方(安積,小泉,野副(代わりに伊東先生が執筆),藤瀬,田中,岡,塩川教授)が全員寄稿されています.時代が変わったとはいえ当時の教授は今よりもずっと学生に近いところにおられたことを物語っており,古きよき時代を懐かしく想いだしました.因に小泉先生は,"selendipity" という言葉はお使いになっておられませんが,同じ内容のことをお書きになっておりました.

 退官後,4月から,東北大学多元物質科学研究所の中西所長のご好意により,同研究所の「研究教授」というタイトルを2年間戴きました.無給のポストではありますが,公式に大学に出入りし,自由に大学の施設を使わせて戴いております.退官前の一年間はさまざまなことで多忙を極め,「退官」の準備をすることがほとんど出来ませんでした.現在,やりかけの仕事のまとめをしつつ,身辺の整理をしているところです.また,川内キャンパスで行われている新入生向け「基礎ゼミ」という授業科目に名誉教授枠の開講コマがあり,「21世紀の課題」というタイトルで,これまでの私が行ってきた内容とは全く異なる授業を1コマ担当しております.このような境遇を与えて戴いたことを大変ありがたく,また,嬉しく思っている次第です.

 最後に,これまで長い間賜わった同窓生各位のご厚情に改めて深く感謝すると共に,化学教室のますますの発展をお祈りいたします.



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伊藤先生との思い出

             大阪大学大学院理学研究科  井頭 (神山) 麻子

 東北化学同窓会から伊藤翼先生の退官記念特集への寄稿を依頼されたときは「そんな大役をなぜ私が?」と驚きましたが,それが伊藤先生からの推薦と知り,大変光栄に思いました.私の伊藤先生との思い出を少し書かせて頂きたいと思います.

 私が伊藤先生と初めてお話ししたのは,東北大学交響楽団の定期演奏会の時でした.私は交響楽団に所属しており,伊藤先生と同じバイオリンを演奏していました.当時,私はまだ学部三年生で研究室に配属されていなかったにも関わらず,「あなた,上手になりましたね.」と声をかけていただき,感激した覚えがあります.その後,研究室配属の際にいくつかの研究室の間で迷っていた私は,「どうせなら優しそうな伊藤先生の研究室にしよう」という理由で錯体化学研究室に進むことにしました.思えば,伊藤先生のあの一言で,私は進路を決めたようなものです.

 こういった経緯で私は錯体化学研究室に配属されることになったわけですが,今振り返ってみても,私の選択は大正解だったと思います.伊藤先生の優しい人柄のせいなのか,先生方,学生もみんないい方々ばかりで,研究室生活はいつでも楽しく過ごすことが出来ました.研究室の居心地のよさに加えて,成果がではじめてきた研究への関心も高まってきたことから,その後,修士,博士,ポスドクと8年間近くも研究室に居ついてしまいました.

 その間,伊藤先生には本当にお世話になりました.もちろん研究についてはたくさんのアドバイスや励ましを頂きました.伊藤先生に「あなたなら大丈夫」と言われると,本当に大丈夫なような気がしてくるから不思議です.また,研究以外の面でも,伊藤先生との間にはさまざまな思い出があります.伊藤先生はご多忙であるにもかかわらず,ものすごく多趣味な先生です.バイオリン,ビオラ,テニス,庭いじりと,挙げていったらきりがありません.偶然にも私の趣味が伊藤先生と重なっていたこともあり,ご一緒させて頂く機会も多かったと思います.伊藤先生も私も弦楽器を演奏することから,伊藤先生のご自宅でのカルテット,伊藤先生が所属しているサークルや化学オーケストラへも参加させて頂きました(余談ですが,伊藤先生のご自宅の芝生はいつでもきれいで,花も多く,いつ手入れしているのだろうと不思議に思います).また,年一回の講座旅行では,夜遅くまでお酒を飲み,朝早くにはテニスをするのが恒例でした.スポーツ大会でのバドミントン,温泉での卓球(伊藤先生は卓球がお好きではないそうですが,ものすごく上手で驚きました),こうして挙げてみると,伊藤先生は運動神経が抜群ですね.

 また,私が伊藤先生に感謝していることの一つとして,ドクターになった頃から,引っ込み思案であまり外に出たがらない私をいろいろな所で紹介して下さった,ということが挙げられます.そのような機会を与えて頂いたおかげで,たくさんの先生方と知り合うことができました.今も,自己紹介で「東北大の伊藤先生の研究室を出て・・・」と言うと,「ああ,伊藤先生のところの.私,伊藤先生を尊敬しているんですよ」と話しかけて下さる先生もいらっしゃり,伊藤先生に師事していたことを改めて誇りに思います.いい先生にめぐりあえて,私は本当に幸せです.

 本当はまだまだ書きたいことがありますが,文字数をかなりオーバーしてしまったので,この辺りで終わりにしたいと思います.伊藤先生はこの3月にご退官されましたが,まだ「研究教授」ということでお忙しい生活を送っていらっしゃることと思います.あまり無理をなさらずにお元気でご活躍下さい.最後になりましたが,伊藤先生,タバコの本数を少し減らして下さいね.

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伊藤翼教授の定年退官にあたって

北大院理 佐々木 陽一

 伊藤教授が錯塩化学講座教授に赴任されたのは1985年10月であった。それから5年半、伊藤教授の指揮の元、たいへん充実した研究生活を送らせていただいた。伊藤教授赴任の翌年J. Am. Chem. Soc.の速報が受理された折、伊藤教授の提言で祝賀会が生協の2階で催された。前任の齋藤教授との対応の違いに何やら戸惑いを感じながら、その会に出席したのを覚えている。その席で、伊藤教授は、J. Am. Chem. Soc.に論文が掲載されることがいかに素晴らしいことかを皆に話された。学生に良い刺激を与えようとする伊藤教授の意図が十分に伝わり、皆が頑張ってこの後、J. Am. Chem. Soc.に毎年のように論文が掲載されることになる。私が北大に赴任出来たのも、この時期の研究が大きく効いているのは間違いない。

 伊藤教授の研究はその後も勢いを増し、1997年にはScienceに論文が掲載されるに至った。当時、私が世話人となっていた総合研究A の集まりがあった際、伊藤教授はScienceの論文について、投稿からrefereeのコメントなどを含め、掲載されるに至った経過を話され、内容はあまり話されなかったように記憶している。しかし、その後私は国内外の学会で伊藤教授のこのScienceに掲載された論文の研究の話を何度も聞かされることとなる。しかし、何度聞いてもまたかと言う印象を受けなかったのは、伊藤教授の真摯な話しぶりと、常に少しずつ後の方に新たな内容が加わっていたからであろうか。

 伊藤教授が代表となって実施された特定領域研究「集積型金属錯体」(1999 - 2002)は、錯体化学者の悲願でもあった。当初評価委員の先生からは、まとまりがない、レベルが低いなどと厳しいコメントが目についたこの特定領域研究も、終りにはその研究成果に最大級の賛辞が寄せられることとなった。控えめに見えていながら強い指導力を発揮された伊藤教授のバランス感覚こそがこの評価を勝ち取った原動力であったことはこの特定領域研究にたずさわった人が誰しも知るところである。この特定領域研究の遂行過程でとりわけ印象に残ったのは、錯体化学に礎を築いて来られた先輩教授、地道に頑張る同輩の教授らに対する伊藤教授のいき届いた配慮である。ともすれば勢いだけが前面に出勝ちな今の時世にあって、若い人たちにも学び踏襲して欲しいことである。

 ご退官後も忙しい研究生活を続けておられると伺っている。多趣味な伊藤教授のことなので、これからも多忙な日々を送られることと思うが、健康にだけは十分に留意されることを願って止まない。バランス感覚の優れた伊藤教授ですが、喫煙とお酒のたしなみはなかなか控えめにとは行かない様ですので。



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