同期会特集
昭和41年卒業生の同期会と化学教室訪問
私共は昭和41年(1966年)の卒業生である。入学は昭和37年で、化学の定員が35人から70人に倍増したので理学部の一括募集定員が150名から185名に増加した年の新入生だった。入学して出会ったのは「我こそは増加分の合格者だ」と自己紹介する謙虚な友人たちであった。3年生になるとき川内の教養部の成績による学科の選別がなされたが、人気が高い選抜をくぐり抜けてあこがれの片平の化学教室に進学してみると「君たちの半分は去年までならここに居ないはずの学生だ」と先輩や指導教官に卒業するまで言われ続けることになった。指導教官の先生方からみれば前の学年と比べて倍増した学生を目の前にした率直な感想であったのだろうから、その点に関しては返す言葉もなかった。昭和41年の卒業時の写真を見ると、この年に定年退官の野副先生が中央に写っているが、40歳台の若い教授が多く、先生方も定員増加の恩恵を受けていることがわかる。われわれが学んだ片平キャンパスの威風堂々たる化学教室の建物はいまでは東北大学本部に転用されている。玄関には警備員が立っていて入りにくそうだが、かつてはここで昼休みにバトミントンに興じたりしたし、総長室や理事長室と思われる部屋では、夜中にストーブでするめなどを焼いたりしたこともあった。化学の講義を受けた階段教室は中国の文豪である魯迅も学んだことがある医学専門学校の教室を引き継いだもので、今では歴史的な遺産として保存されているが、ここで授業を受けた当時はあの古びた教室がこのように歴史遺産として有名になるとは思わなかった。卒業研究もこの階段教室で発表した。今のように便利な機器を使える時代ではなく、手書きの大きなポスターを何枚も重ねて掲げ、次々と破り落としながらのプレゼンテーションだった。
卒業後50年以上が過ぎ、それぞれが人生を刻み、喜寿を目前とする年齢になると化学教室での思い出もすでに遠く懐かしいものになった。折に触れて昭和41年卒業の同期生が集まってはいたが、最近の十数年は2年ごとに東京地区と仙台地区が交代で同期会を開くことにして旧交を温めている。今年(平成30年)は仙台地区の番で5月28日、メルパルクホテル仙台に21名が集まって、近況報告などで夜遅くまで楽しい一夜を過ごした。翌29日には、青葉山キャンパス見学ツアーとして地下鉄東西線で青葉山駅まで行った。夏のような暑い日射しの中、理学部キャンパスを散策しその変容ぶりに驚嘆しながら化学教室を訪問したところ、学科長の美齊津先生の歓迎を受け、化学科の現状を説明していただいた。その後、理薬生協食堂で昼食をとり学生気分を味わい、ゴルフ場跡にできた新キャンパスにまで散策の足を延ばし、午後3時ごろ散会した。楽しく有意義な同期会であったが、忙しい中、貴重な時間を割いて、矢継ぎ早の質問にも丁寧に答えていただいた美齊津教授に厚く感謝申し上げる。
平成30年5月同期会に参集した昭和41年化学卒業生(懇親会場のメルパルクホテル仙台での集合写真)