甲 國信先生御退職特集


御退職寄稿 「思い出すままに」 甲 國信

「甲 國信先生のご退職によせて」 富山大学大学院医学薬学研究部 藤原 朋也


思い出すままに


甲 國信


甲先生


 川内の教養部に助手として採用されて以来、39年が過ぎ昨年の春に定年を迎えた。この間、化学教室には、教養部廃止後の14年間お世話になった。長かった時間も、過ぎてみればまさに一瞬のように感じられる。

 退職後しばらくの間は、後片付けで毎日のように研究室に出入りしたが、最近は青葉山を訪ねることは滅多になくなった。「サンデー毎日」の生活だが、幸いなことに暇を持て余すことはなく、出勤しなくてすむ気楽さを楽しんでいる。

 山形の田舎から、昭和37年3月東北大理学部の受験に仙台に出て来た。それまで、雪深い田舎にいて、冬はゴム長靴が普段の履物だったので、冬でも雪のない乾いた道路が珍しかった。入試間際になって化学第二学科が創設が決まり、化学系の定員が倍増した。高度成長の波に乗っての大学の定員増の始まりである。入試が近づいた時点での30人の定員増は天の助けだったが、化学教室に進んでからは、一年上の学年と何かにつけて比較された。

 4年生から修士までは、北原喜男教授の反応有機化学講座で過ごした。講座配属直後に健康を損ない、それがずっと尾をひいて、甚だ情けない3年間となってしまった。それまで、年寄りのいう「体を大事にしなさいよ」という言葉は、たんなる挨拶程度に思って聞き流していたが、その意味がわかった時は手遅れだった。スタッフにも、先輩にも恵まれた研究室だっただけに悔いが残る。田舎に帰って教員になるつもりでいたところを、運良く川内の教養部の助手に拾って貰え、ともかくも教育・研究の場の端につながることができた。

 教養部では、一般教育の化学実験の準備と学生指導が主な義務で、それ以外の時間は山口勝三教授のもとでの研究実験に使えた。教養部の化学実験は通年の科目だった。一日の受講者が200から300名もいて、雑踏にもまれる感があった。私は有機実験のパートに属したが、やるべきことを熟知しておられる経験豊かな先輩の先生がたが手際良く働かれたので、健康が優れなかった私でも特に大変だったという記憶はない。窓口で行う学生の指導にも気合いが入っていて、予習の足りない学生は器具や薬品を渡して貰えず追い返された。当時の先生がたには前期教育の担い手としての強い自負が感じられた。

 研究における最大の思い出は、錯体化学の佐々木陽一助教授(当時・現北大名誉教授)との共同研究で、自分たちのNMRキラルシフト試薬を見つけたときのことである。速いもので、あれから四半世紀が過ぎた。他に誰もいない川内の測定室で、分離したアラニンの光学異性体のシグナルが記録されたチャートを見つめ、ひとり興奮していた。NMRによる絶対配置決定に使えるキラルシフト試薬を開発するのが目的で、どういった錯体が目的に合うかとあれこれ考え仮説を立てた。この時見つけたシフト試薬は、その仮説に従って試した錯体で、幸運にも期待にたがわずアミノ酸の絶対配置決定が可能であることがわかった。結果をまとめてChemical Communicationsに投稿したところ、レフェリーの一人がこの分野のブレークスルーとの評価をしてくれて、この報告は私の記念碑となっている。この試薬にはその後の展開があるが、最初に勝る感激はなかったので省略する。

 1970年代初め、シフト試薬研究の一大ブームの中で、キラルシフト試薬は誕生したが、誰もが当然考えるはずの絶対配置決定への応用は、満足のいく結果が得られないままに放置されていた。キラルシフト試薬の開発者の一人であるMITのWhitesides教授が、この試薬による絶対配置決定に否定的な見解を示したことも影響したのだろう。30年を経て、Whitesidesが否定的見解を示した1,3-ジケトン錯体型の試薬も、Harvardの岸教授等により、彼らの考案した、問題点を巧妙に回避する方法を用いれば、絶対配置決定に有用であることが示された。この論文を私は感慨深く読んだ。

 平成5年の教養部廃止により理学部に配置換えになった。すべて教養部仕様でできていた私にとって、化学教室は別世界だったが、なんとか定年を迎えることができた。お世話になった多くの方々と頑張ってくれた学生さんに感謝する。とりとめの無いことを書いたが、最後に化学教室の発展を祈って筆を置く。

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甲 國信先生のご退職によせて


富山大学大学院医学薬学研究部 藤原 朋也


 甲先生が優しく,温厚な先生ということは,先生の旧教養部での講義を受けていた知人よりずいぶん以前から聞いておりました.私が初めてお会いした東北大工学部4年生時の印象もまさにその通りで,この印象は今なお変わらず持ち続けています.

 研究室では,先生が長年携わられていた「光学異性体の化学」の縁の下に関する研究のうち,含フッ素キラル有機化合物を用いた光学活性化合物の絶対配置決定に関する研究というテーマの下,先生からの適切なタイミングでのご指導と励ましをいただきながら,本当に自由に研究を進めさせていただきました.不定期に訪れる先生とのディスカッションから研究を進めていくためのヒントを得て,何とか先生が驚くような結果を出そうとしていたことが今のことのように思い出されます.

 また,先生には「締め切り」という点については色々ご迷惑をおかけしました.私は学会発表の要旨原稿は提出締め切りぎりぎりで提出,発表スライドは学会へ出発直前に完成など,例を挙げればキリがない程の遅筆で,その度に先生に冷や汗をかかせておりました.特に博士課程の公開発表と論文提出の際には,今回はさすがに間に合わないかも,とお集まりいただいた先生方へのお詫びまで考えておられたと最近になってお聞きし,誠に申し訳なく思った次第です.また,教員の立場となり,今度は自分自身が学生の原稿やスライドの提出が締め切りぎりぎりとなって冷や汗をかいている現在,先生の当時のお気持ちの一端を垣間見て,改めてご迷惑をおかけしたと思うとともに,このような状況でも感情的にならずに冷静に対応されていた先生を見習わなければと思う所存です.

 研究以外の面でも先生との間には思い出が沢山ありますが,ここでは猫にまつわる話について述べさせていただきたいと思います.先生が大変な愛猫家であることは既に多くの方がご存知のことかと思いますが,研究室配属当初の私はそれを全く存じておりませんでした.そのため,お飼いになられている愛猫の写真や猫の写真を使ったカレンダー,猫をモチーフにした雑貨類が教授室に多数あることを初めて拝見した時にはその数・種類に少々圧倒されました.このような環境で過ごした数年後に私も一匹の猫を飼うことになったのはある意味必然かもしれません(その猫が先生の飼われていた猫と非常に似ていることには何かの縁を感じずにはいられませんでした).この猫についても,先生には動物病院を紹介していただくなど色々お世話になりました.

 先生には今後もご指導,ご鞭撻をいただく機会がまだまだありますが,くれぐれもお体にご自愛の程,お願い申し上げます.

 ありがとうございました.


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